2012年2月29日水曜日

受診患者さんが1万人を超えました。地域の信頼を測る指標

左の図は2/17に受診された高血圧の方の電子カルテ画面です。心機能にも腎機能にも問題ないために降圧剤の開始は見合わせて、生活習慣での降圧を図りましょうとお話ししました。この方で、鹿屋ハートセンター開設以来のIDが10000となりました。5年と5か月でようやくです。

来られれば診察をするにも拘らず、かかりつけの方でさえ心臓専門だからと遠慮され風邪ではあまり受診されません。まして初診で風邪で来られる方は皆無ですので、純粋に心臓だけの数字でまずまずかと思っています。

この間に約1000件のPCI、100件のペースメーカー植込み、100件の下肢のカテーテル治療、50件の腎動脈の治療を行ってきました。年間のPCI件数が1000件を超える大きな病院と比較すれば微々たる件数ですが、私にとっては少なくない件数です。鹿屋市は人口10万人ですから年間に10万人当り200件のPCIを当院で実施したことになります。北九州市は約100万人の人口ですから小倉記念病院のPCI実施件数は人口10万に当たり264件で当院より多い数になります。札幌市は190万人ですから札幌の藤田先生のところの実施件数は10万人当り90件程度になります。藤田先生のところにはまだまだ伸びしろがあるということだと理解しています。

年間に市内全域で1000件のPCIが発生しない人口の少ない土地での200件と人口の多い街での1000件を比べることにそもそも無理があると思っています。でも、朝日新聞も、読売新聞も数の手術件数の多い良い病院と表現します。小倉記念病院の延吉先生も札幌の藤田先生もその数だけで自分たちの施設の質を誇っているわけではないと思っています。私の眼から見て最も価値のあるPCI施設は、長崎県対馬のいづはら病院や、沖縄県宮古島の県立宮古病院などのその土地で唯一のPCI施設です。そこになければ困る唯一のPCI施設です。人も集まりにくい、十分な数のスタッフがいる訳でもないのに、その土地の循環器救急を守るために苦労されている掛け替えのない施設です。絶対数で見た件数は少なくともその土地のPCI件数の100%を実施している施設が最も価値のある施設だと思っています。

ちなみに大隅半島で実施されるPCIのうち当院での件数が占める割合(シェア)は約26%です。シェアで見れば離島のPCI実施病院の1/4の価値しかありません。おそらく小倉記念病院は北九州市のPCI件数の60%超のシェアがあり、都市部の施設では群を抜いて価値の高い施設ということになろうかと思います。札幌の藤田先生のところのシェアは札幌市の30%超というところでしょうか。もちろん、藤田先生のところのシェアが低くて価値の低い病院だと言いたいわけではありません。藤田先生は開設されて数年でこのシェアを取ったわけですし、今後、伸びしろの大きく残っている札幌で、シェアも実施件数も大きく伸ばしてより大きな価値のある施設になっていくことだろうと思っています。

当院のシェア約25%、札幌の1/3のシェア、北九州の2/3のシェア、離島の100%のシェアという概念が、その土地でどれほどの信頼を勝ち得ているかという指標のように思います。当院でのPCI件数は日本で有数という訳ではもちろんありませんが、私にとっては25%のシェアは決して少なくない誇れる数字だと胸を張りたいと思っています。

2012年2月28日火曜日

非常に良好な側副血行のjeopardy

Fig. 1 7m after stenting
4年半前に労作時の胸痛で受診されました。 #6の完全閉塞で、そこに側副血行を送る#4PDに90%狭窄を認めました。Fig. 3に示すようにPCI前の負荷心電図ではV3-6で著明なST低下を認めます。#4PDを介してLADに良好な側副血行が出ているわけですから非常に重要でリスクのあるPCIです。幸いにもうまくCypherを植え込むことができました。Fig. 3の右のPCI後の負荷心電図ではST低下はもはや認めません。

Fig. 2 54 m After stenting
私はステントのない時代からPCIに関わってきましたが、運動耐容能が上昇はするもののPOBA後の負荷心電図は陽性であり続けるケースが多く、冠動脈の拡張だけではすぐに虚血が解除されないのかと当時は思っていました。その頃、負荷心筋シンチも担当していましたので、POBA後の負荷心筋シンチもたくさん経験しましたが、やはり再分布が多く、POBAだけでは虚血は解除されないと思っていました。このシンチにおけるTlの再分布現象は、長期の虚血後の心筋代謝が血行再建後すぐには改善されないためなのか、POBAによる拡張が不十分であるためなのかしばらく疑問に思っていました。でも今では疑問はありません。POBA時代とは異なり、きちんとステントを植え込んだケースでは負荷心電図で虚血の所見は得られないことがほとんどだからです。かつてのPOBA後の負荷心電図陽性、心筋シンチでの再分布現象は不十分な拡張によるものであったのだろうと信じています。

Fig. 3 Ex. ECG before and After stenting
こうして負荷心電図でのST低下もなくなり症状もなくなった方ですが、再び労作時の胸痛が出てきました。負荷心電図も陽性です。Fig 1は#4PDのPCI後7か月後、Fig. 2はその4年後、今回の造影です。#2に透亮像のように見える高度狭窄です。この4年間、ずっとストロングスタチンを内服していましたが、再発を防げませんでした。幸い、合併症なく#2にPROMUSの植え込みを行えました。

この方の側副血行は#4PDから全く同じ血管径でLADに心尖部で繋がっており、RCAの狭窄がなくなると負荷心電図で陽性所見も出なくなるほどです。しかし、一旦、RCAに狭窄が生じると強い虚血所見と自覚症状が出てきます。もし、RCAが粥腫破綻などで急性閉塞すれば優位な右冠動脈と前下行枝の同時虚血ですから致命的になります。PCIで目の前の虚血は解除できても粥腫破綻は防げない訳ですから、いつまでもRCAの血行再建で症状が取れるからと言ってLADの完全閉塞を放置していてはいけないと思います。

LADにLITAを繋いだ時にこの虚血も起こさないほど良好な側副血行に打ち勝って、LITAはよく流れるでしょうか。またEpicardの側副血行を通してLAD totalを開けに行くのが良いのでしょうか。よく考えなければなりません。

2012年2月25日土曜日

孤高を目指すもの

ちょうど20年ほど前に千葉県松戸市の新東京病院を訪ねました。当時、私が勤務していた病院の心臓外科が崩壊し、PCIをする私たちにとって不可欠な心臓外科医を探していたのです。現在、東京ハートセンターに勤務している南淵明宏医師が新東京病院で勤務しており、彼に病院を変わる気持ちがあるかを聞くために訪ねたのです。一種の引き抜きとも言えます。常磐線に乗ったのも、松戸を訪ねたのも初めてでした。

新東京病院では、何故か理事長(?)も快く迎えてくれ、当時の新東京病院で術者をしていた天野篤先生も紹介していただきました。初めて会った天野先生は、情熱的でよく話をされました。なぜ心臓外科を志したのか、なぜ亀田総合病院の遠山先生のところで修業を始めたのか、なぜ新東京に移ってきたのかなどです。心に残っているのは、自分が目指すものは1000人手術をしても、1万人手術をしても一人も手術死亡が出ない心臓外科だと熱く語られたことです。当時の心臓外科の水準では2-3%の手術死亡率で優れた成績であったにも関わらず、天野先生の目標は桁違いに高いものであったことから、当時はさほど有名でもなかった天野先生の名前が私の胸に深く刻まれました。この会合を経て、南淵先生は当時の私たちの病院の心臓外科部長になりました。彼にとって初めての独立した心臓外科部長職でした。

それから20年が経過しました。南淵先生は頻繁にTVに出る有名な心臓外科医になり、もちろん独立した心臓外科部長です。天野先生は順天堂大学の教授になり、天皇陛下のバイパス手術を成功させ、日本でもっとも有名な心臓外科医になりました。

千人、万人手術をしても一人も死なせないというのは途方もなく高い目標です。2-3%の死亡率を受容可能と考えると何かのミスがあって手術死亡が発生しても、その範囲内であれば手術死という結果を受け入れてしまいます。同僚医師のミスであっても、看護師やポンプを回す技師のミスであってもこれから気を付けろよというくらいで受け入れてしまうかもしれません。しかし、誰も死なせない手術をすると決めれば、自らのミスも周囲のミスも決して許せなくなります。当然、周囲への要求は高くなり、要求する術者の性格もやさしくはなくなるはずです。孤高です。6年ほど前に何かの会で大勢を前にして、天野先生のこうした気質を私が褒めた後に、他の心臓外科の先生から天野先生の気質を褒める人もいるのだねと言われました。しかし、高みを目指す人はそうでなくてはならないと思っています。順天堂大学心臓外科のWebsiteを見ると、いまだ彼のバイパス手術の死亡率は0%ではありません。1%弱です。もちろん非常に優れた成績ですが、彼の目標よりも高い死亡率に彼は満足していないことでしょう。56歳という年齢の心臓外科医にとって、発展途上という概念はあり得ないかもしれませんが、より高みを目指して後に続く者たちに厳しく接してくれることでしょう。

一人も手術死を出さないと誓い、そう宣言した心臓外科医にとって決してミスが許されない手術という点では、日常の手術も天皇陛下に対する手術も同じ緊張感で向かい合ったに違いないと思っています。20年前の彼の宣言を直接聞いた私にとって、天皇陛下のバイパス手術の成功は必然であったと思えます。また、自分の仕事をやり遂げた彼が、「希望する仕事に戻った時が成功だ」と発言したのも至極当たり前に聞こえます。チームの一員として高い目標を共有し、手術という刹那の成功だけで満足しないという彼の美学の発現であったと思います。

高い目標を持つこと、そして宣言すること、自分にも周囲にもその宣言に即して妥協を許さないこと、そうした厳しさは他者の生命を掌に持つことが許された者にとって不可欠な資質であると思っています。そうした資質を持つ者だけが到達できる境地が存在し、そうしたものだけが得られる栄誉が存在します。天野先生よりも1歳年上の私には今更ですが、生命を預かるすべての人々にこの孤高を目指してほしいと願っています。

2012年2月24日金曜日

To err is Human, to lie is also Human. 人は誰でも間違える、人は嘘をつくものだ

図の下段は、今はもうなくなった10%キシロカインです。私が医師になった昭和54年当時は、この写真のように点滴専用とも書いていませんでした。急性心筋梗塞の急性期などの心室性期外収縮が頻発する時期に持続点滴としてよく使用しました。10%溶液で10mlですから1000㎎入っています。上段は2%キシロカインで静注用です。これは一時的に使うもので体重あたり1㎎程度を静注します。ですから50㎏の人には1/2A(半筒)の2.5ml(50㎎)を静注します。この2%の製剤と10%の製剤があるために、多くの悲劇が起きました。最初に勤務した病院でも、次に勤務した病院でも、その次に勤務した病院でも、キシロカイン1/2Aとの指示を受けて、10%のアンプルの半分500㎎を静注される事故が起きました。医師の指示を受けて看護師が静注したケースも見ましたし、医師自身がこの間違った量を静注したケースも見ました。通常量の10倍量の投与です。ほとんどの患者さんはこの500㎎を投与されるとけいれんを起こし、血圧低下や致死的不整脈を起こして死に至ります。

こうした事故が発生するのはそこに10%キシロカインが存在したからです。そこに2種類の同じ名前のアンプルがあればミスは発生します。一方、そこに1種類しか存在しなければ間違いは起こしようがありません。「人はみな間違える」 " To err is Human"です。この考え方を基本として間違いがないようにシステムを構築することが患者さんの安全に繋がります。3番目に勤務した病院では、10%キシロカインを院内から追放しようと提案しました。しかし、その時、この提案は実現しませんでした。2%キシロカインを複数、シリンジポンプに入れて持続投与すると、10%キシロカインよりも薬価が高くなるので保険ではねられるというのが薬剤部からの反対の理由でした。まだ、権限もなかった私には反対を覆すことはことはできませんでしたが、救急外来と循環器病棟には10%キシロカインは置かない、ICUでは十分な管理のもとで在庫するということで合意できました。

その後、同じような事故を受けて10%キシロカインは2005年に販売中止となりました。"To err is Human"という考え方が一般的になり、その上で事故をどう防ぐかという議論から、当然のように無いものを誤って使うことはできない訳ですから、注意して使うのではなく存在をなくすことで完全にこの10%キシロカインの事故をなくすことができるようになりました。

"To err is Human."という考え方はこのように一般的になりましたが、今、心配していることは"To lie is Human."です。10%キシロカインの誤投与の時にも、自らを守るために、あるいは自らの失敗を受け入れたくないために、10%キシロカインのアンプルがあるにもかかわらず、「間違いなく2%キシロカインを静注した」だとか、「自分は看護師に2%キシロカインを静注しろと命じた」と事実と反することを言う医師や看護師を見てきました。昔、ml単位でインスリンを投与していた時代、4単位の指示を誤って40単位投与した看護師がいました。意識不明になった患者を見て低血糖になった理由が分からずに対処に困っていた時に、誤投与した看護師はずっと誤投与したことを自覚していたにもかかわらず、自らを守ろうとしてなかなか本当のことを教えてくれませんでした。また、かつての同僚医師がそけいから静脈と動脈に1本ずつ入れたシーストランスデューサーが断裂し、先端が行方不明だと言ってきたことがあります。挿入されたシースに対してシースを突き刺したのだろうと聞いても、ワイヤーを2本別々に入れてから順次シースを挿入したのでシースを突き刺していないと彼は主張しました。このため何が起きているのか分からず、困ったことがあります。結局は抜いてきたシースに断裂したシースが突き刺さった状態で出てきたために同僚医師の嘘は証明されました。

医師も看護師も、自らを守るため、自らの過ちを認めたくないために嘘をつくことがあります。医療者だけでなく時に患者さんもご家族もうそをつくことがあります。この「さが」が解消されないと、いくら"To err is Human."という考えで事故を減らすシステム作りをしても、嘘がこの仕組みを台無しにしてしまいます。"To err is Human"という考え方に立って事故を減らすことは大切な考え方ですが"To lie is Human"はいただけません。うそをつかなくても済むシステム作りが不可欠です。

2012年2月19日日曜日

安易な「ICU症候群」という判断は危険です。

90歳近い女性です。2/17 深夜0時に胸痛を伴う呼吸苦で救急受診されました。起坐呼吸です。23時前から、おかしなことを言い始めていたそうです。過去に胸痛の訴えはないとご家族は言われます。

来院時の心電図は左脚ブロックで、酸素投与下で酸素飽和度は88%でした。胸痛を伴う心不全ですから虚血性に違いはありません。急性心筋梗塞による急性の心不全で起坐呼吸であれば、フラットに寝て頂き、緊急カテも辞さないのですがそうなればきっと気管内挿管をして人工呼吸器装着下のカテになります。緊急カテをどうするか悩みましたが、高齢でもあり経過を見ることとしました。もちろん利尿剤や血管拡張剤の投与など心不全の治療をした上です。

その結果、朝にはケロッとされ、来院から8時間後の採血ではCPKの僅かな上昇があるもののASTやLDHの上昇は認めません。やはり、急性の虚血はあるものの急性心筋梗塞ではない病態との判断で間違いがなかったようです。午後に冠動脈造影を行った結果が図です。右冠動脈#3と左冠動脈回旋枝入口部の完全閉塞を認め、左冠動脈前下行枝入口部にも90%狭窄も認めます。前下行枝による虚血で全心臓虚血の状態になり急性の心不全になったものと判断しました。前下行枝の閉塞は致死的ですので前下行枝に対してステント植込みを行いました。

2/17の夜は穏やかに過ごされましたが、2/18の朝になって急におかしなことを言い始めました。看護師さんの記録によれば「ICUシンドローム」の評価です。この時点で私は、心不全の再度の悪化を心配していました。左冠動脈主幹部が原因の急性心筋梗塞や、この方のように重症3枝病変による心不全の時の不穏や精神錯乱は心臓由来のことが多いからです。気にかけていたところ、夕方には酸素飽和度が低下し、再度、起坐呼吸になったために挿管し、人工呼吸管理にしました。そして今朝です。昨夕はFiO2: 100%で始めたものがみるみると呼吸状態は改善し、今はFiO2: 30%で維持可能です。急性の心不全が襲ってはすぐにおさまりという病態を繰り返します。今回拡張した前下行枝以外の2枝の完全閉塞が引き起こす虚血に加え、腎動脈にも問題があるかもしれません。閉塞した冠動脈や腎動脈に対するアプローチが今後の課題です。

今回のブログで書きたいことは「ICU症候群」です。重症心疾患の患者さんももちろん「ICU症候群」と呼ばれる拘禁状態に起因する精神症状を発現することはあり得ます。この判断が妥当であれば、拘禁状態からの解放や薬剤によるセデーションが正しい対処かもしれません。しかし、心不全由来の症状にも拘らず、監視を緩めたり、薬剤で症状をマスクしたりすると心不全に対する対処が遅れてしまいます、その対処の遅れが、重症心疾患の場合、致命的になりかねません。心疾患の方の予期しない精神の錯乱に関しては心疾患の悪化を第一に疑うべきであると思っています。特に左冠動脈主幹部病変がらみの方の不穏は、その病変由来の虚血であることが少なくなく、血行動態の破綻や、心電図変化に先行して現れる印象です。少し勇気の必要な判断ですが、主幹部病変が関与する方の不穏は緊急カテの適応だというくらいの認識を持っています。

30年を超える医師のキャリアの中で、こうした心臓の状態の悪化による精神の錯乱を「ICU症候群」と捉えたために心臓に対する対処が遅れたり、死に至ったケースを見てきました。経験の少ないナースだけではなく集中治療に精通したナースでも時に「ICU症候群」と間違って判断することがあります。安易な「ICU症候群」・「ICUシンドローム」という判断は危険だという認識をスタッフ全員で共有しなければなりません。

2012年2月13日月曜日

天皇陛下のバイパス手術に思う

カテーテル治療ができるようになる以前の狭心症の方は、重症であれば冠動脈バイパス手術を受け、軽症の方であれば内服で症状を抑えるという治療を受けておられました。1980年代の初めに日本のPCIは始まりました。私は1979年の卒業ですので、カテーテル治療のない時代も普及の十分ではない時代も循環器医として働いていました。

狭窄はあるもののその狭窄は放置したまま、薬でコントロールするわけですから、排便のいきみで胸痛が起きたり、重いものを持ち上げるだけで胸痛が起きたりしました。このため、排便前にはニトロを舌下してください、重いものは持たないでください、遠くには出かけないでください等と多くの生活の制限をお願いしました。

PCIが普及し、基本的に狭窄は解除され胸痛を自覚するのは、再狭窄か新たな狭窄が出てきた時だけですからニトロを舐めることはあっても、ニトロだけで済ませるという時代は終わりました。胸痛から解放された狭心症の患者さんの目標は元の仕事や生活に戻ることです。退院の時に「仕事を元通りしても良いですか」とよく聞かれますが、基本は「元通りの生活をするために治療を受けたのですから元通りの仕事をしないと勿体ないですよ」とお話ししています。この考え方はバイパス手術を受けられた方も同様です。心臓手術を受けるほどの病気をしたのだから、仕事を辞めてゆっくりしようという方が昔は少なからずおられましたが、こんな方は今は少数派です。

天皇陛下がバイパス手術を受けられると発表されました。バイパス手術ではなくカテーテル治療という選択はなかったのかなとも少しは思いますが、担当の先生方が最善の治療法を選択されたのだと信じています。内容を知らないものが口を挟むべきではないと思っています。

治療の目的は、バイパス手術もカテーテル治療も、元気になって元の仕事に戻ることです。ですから、天皇陛下の場合も元のお仕事に戻っていただくのが、他の患者さんと同様に自然なのですが、少しそれで良いのかとも思ってしまいます。78歳の年齢は歴代天皇の中でも第5位のご高齢です。バイパス手術後にはゆっくりとしていただきたいと、普段の患者さんに対して思う気持ちとは逆のことを考えてしまいます。皇太子殿下ももう51歳になられます。存命中の退位・譲位が想定されていない皇室典範を見るとお気の毒な気がします。退位・譲位の制度がなくなったのは、明治期だそうです。退位・譲位は明治までは珍しくない制度であったそうです。明治政府が、政府と天皇陛下が対立した時に退位という形で政府が圧迫されないように退位という制度を廃止したとWikiには記述されています。政治的にお立場が制限されているのであればなお、お気の毒に思います。

ただただ、手術の成功とその後のお健やかな生活を祈りたいと思っています。

2012年2月8日水曜日

現場で働く医師の「孤立無援の思想」

2012年2月1日付当ブログ「ネット時代の連帯を求めて孤立を恐れず」の中で高橋和己の「孤立無援の思想」に言及しました。しかし、内容は全く覚えていなかったのです。「連帯を求めて孤立を恐れず」と頭の中で思い出せば自然と「孤立無援の思想」が出てくるという風で中身のない表現でした。このため改めて読んでみようと思い、新書版をAmazonで購入して読み直しました。

20歳頃の読解力やその内容を受け止める心情は、30年以上が経過して当然のように変化しているはずですが、読み直してみて何故に若い頃の私の心に残ったのかが理解できませんでした。

「これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する」という文で孤立無援の思想は締めくくられます。この言葉だけが心に残り、一人でも頑張るぞという意識として残っていたのだと思います。

しかし、読み返してみると、文学者である高橋和己は政治の取るべき立場と異なる立場にいるのだから文学者として政治と同じ土俵には立たないと政治的な人から見れば「逃避」とも取れる立場を宣言しているだけに読み取れます。

『「情勢論」こそ、政治的な思弁が永遠に抜け出すことができない運命なのである』と高橋和己は書きます。実際、人の命は何に対しても優先するという思弁は政治にはなく、国家の利益のためなら人の命をも奪うこともあるわけです。戦争に代表される受容できる人的被害(戦死)で得られる利益が大きいのであれば良しとするのが政治の論理です。一方、国家が受容できるとして死んだ大勢の中の一人であってもそこに思いを馳せるのが文学者の立場だと高橋和己は言います。だからこそ、高橋和己は文学者として政治から離れ孤立を選択するのだと「孤立無援の思想」で言っているように今の私の読解力・心情では読み取れます。勇ましい宣言のように思って30年以上頭に残っていたのはどうも間違っていたのかもしれません。

文学者は、大勢の中の1人の損失として死を捉えないと高橋和己は言います。一方、私たち医師はどうでしょうか。

ある比較研究を行い、Aという治療での死亡率が10%であり、Bという治療法で死亡率が5%であった場合、それが十分なサンプルサイズで統計的に有意であったとするとBという治療法は有効だというエビデンスがあるなどと表現されます。また、5%の死亡はアクセプタブルだと表現されることもあります。この発想は戦争における受容可能な人的損失という考え方とは異なるのでしょうか。

かつて米国の作家マイケル・クライトンは、ハーバードのインターン時代に心筋梗塞患者を受け持たされた時にどうせ心筋梗塞患者は助からないのだから牧師が診ればよいのだと言ったことがあります。この時代にEBMという考え方はありませんでしたが、もし、牧師が診る心筋梗塞のグループと医師が診る心筋梗塞のグループを比較したら、死亡率はマイケル・クライトンの言うように差はなかったかもしれません。すると、医師が診ると死亡率が低下するというエビデンスはないと表現されます。平たく言えば医師が診ることは無駄だということになります。

しかし、現実の心筋梗塞の診療の歴史はCCUの創出によって不整脈が克服され、冠動脈再開通療法によって数%の死亡率にまで治療は改善されました。ある時期の統計を乗り越える不断の努力をした医師の手によって心筋梗塞治療は確実に医師のものになりました。

今あるエビデンスもきっと未来永劫続くものではないはずです。まだ、改善されたとはいえ完全ではない心筋梗塞に対する治療に臨む時、受容可能な死亡率だと言った瞬間に進歩は止まります。「エビデンス」に基づけば無駄だと思われることでも1人1人に向き合うことで今ある「エビデンス」は乗り越えられるに違いありません。

「政治」でもない、「エビデンス」だけでもない立場で1人1人の患者に向き合い「そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する」と言えば、逃避ではない現場で働く医師の「孤立無援の思想」となります。高橋和己を読み直したことは無駄ではありませんでした。

2012年2月7日火曜日

この国の政策決定に論理や知性は介在しているのでしょうか

Google analyticsを見ていると2012年1月27日付当ブログ「医療の高度化に伴って増大する医療費」 に厚生労働省からのアクセスがありました。光栄なことです。「医療費 増加 要因 高度化」と言ったキーワードで検索され辿り着かれたようです。興味本位で同じキーワードで検索して辿り着いた2つのWeb上の記事をアップしました。

上段は日本医師会総合政策研究機構の論文で2011年10月26日付です。この論文の中で患者数は入院、外来ともに減少している、虚血性心疾患の総医療費は増加しており、医療の高度化などにより患者1人1日当りの単価が上昇しているものと推察される。入院患者数の減少は、平均在院日数の短縮化によるものであると記載されています。ここでいう患者数はですから絶対数ではなく入院延べ患者数を指していることが分かります。平均在院日数が短縮化する中で同じ治療を行えば1日単価は上昇するのは当たり前ですが、総医療費はむしろ減少するはずです。ですから総医療費が増大するのは医療の高度化による医療費の増加ではなく、延べ人数ではない絶対数で見た患者数が増えているからに他なりません。

下段の図は、慶応の経済学部の玉田康成研究会の名で出されている論文です。これが医学論文であれば「高度な技術を用いることによる検査費用・手術費用の増加を受け」と書けばそう書く根拠になった参考文献を示さなければなりません。しかし、無条件で根拠もなく高度な技術を使って医療費が増加していると論文には記載されます。

医師会総研も慶応の経済学部も論拠なくこのように「高度化による医療費の増大」と書きます。

この程度の論理で、この程度の知性でこの国の政策が決定されるとしたら本当に恐ろしいと思います。

100年安心と言われた年金の制度改革が一度も安心をもたらさずに崩壊したのもこの程度の論理や知性で決まられたからでしょうか?

2012年2月5日日曜日

PCIの普及に見る東京砂漠

福岡での勤務を後輩に譲り、鹿屋に志願した話を2012年2月1日付当ブログ「ネット時代の『連帯を求めて孤立を恐れず』」に書きました。この時、困っている人のために鹿屋に行くのだとだけ考えていたわけではありません。日本で最も循環器救急が劣っている土地で循環器救急を立ち上げることで日本中にインパクトのある仕事になるのではないかと考えたのです。

東京や大阪や福岡で循環器救急が仮に充実しており、心筋梗塞のほとんどが助かるのだということを循環器救急の出来上がっていない地方の人が聞くと、都会はいいなと思うだけです。何故、同じ税金や保険料を払っているのに受ける医療サービスが異なるのだと怒る人はまずいらっしゃいません。田舎だから仕方がないと思うだけです。一方、もし、日本で最も条件の悪かった土地が、東京や大阪よりも充実した循環器診療の提供できる土地になった時に都会に住む人たちはどう考えるでしょうか。田舎は良いよな、都会だから仕方ないよなとは思わないと考えたのです。最も劣悪な条件の土地が生まれ変わることで日本中が変わるのではないかと考えて最も劣悪な条件の鹿屋を志願したのです。

この結果、私が鹿屋に赴任する前(2000年以前)に1件もなかったPCIは、2007年のデーターで10万人当り752件実施される全国第2位のPCI密度の町に生まれ変わりました。ちなみに全国1位は千葉県松戸市の10万人当り882件でした。一方、2007年当時の人口10万人当りのPCI件数の最も少なかった自治体は東京都江東区で10万人当り20件でした。これは江東区に限った現象ではなく、世田谷区の40件、杉並区の50件、中野区の30件、台東区の25件、豊島区20件、北区の20件と東京23区にはかつての鹿屋のような自治体が多数存在します。こんな風に書くと他に多数をやっている施設が近くにあるからでしょと反論されますが、東京23区平均でも10万人当りのPCI実施件数は全国平均を下回ります。このことについてはかつて鹿屋ハートセンターの院長日記に記載しました。

1997年頃、当勤務していた福岡徳洲会で循環器科のホームページを書いていました。当時は、インターネットの普及も十分ではなく、苦労もなかったためにアクセスされた方からの質問をメールで受け付けていました。最も多くの質問は東京から寄せられました。もちろん、インターネット人口が多いからだと理解しています。この中の質問で忘れられないのは、東京の大学病院に入院して2日後に家族が急死したが、納得できないというメールです。背部痛があり入院し、3日後に心エコーの予約が入り1週間後にCTの予約が入っていたそうです。そして入院後2日間、何の検査も受けないまま再度強い背部痛を訴えて急死されたというのです。お話を伺って最もそれらしいと思うのは急性大動脈解離(解離性大動脈瘤)です。1997年当時でもまだこんな診療をしている病院があるのかと驚きました。それも東京の大学病院でです。

図は、Google analyticsを始めて本日までの7日間の日本の地区別のアクセスです。4日前にはアクセスのなかった静岡県や栃木県からもアクセスがあり、現在アクセスがないのは鳥取県と島根県のみになりました。アクセスのあった地域はこの1週間で130地区です。

地元の鹿児島のアクセスが多いのは当然ですし、東京港区のアクセスが多いのは電子カルテが使えるパソコンは電子カルテのサーバーのあるセコムのVPN経由でインターネットアクセスをしているせいで港区からのアクセスにカウントされるからです。しかし、この港区からのアクセスを除いても東京からのアクセスが突出しています。Facebook経由でのアクセスかとも考えましたが参照元を見ると1番が鹿屋ハートセンターのホームページからでした。次いでGoogleやYahooといった検索からです。東京からのアクセスが多いのは人口が多くインターネットにアクセスしやすい環境だからだと考えたいものです。1997年当時のようにPCIの供給が少ない土地であるが故に救いを求めてのアクセスでなければよいがと思います。

あなたがいれば あゝうつむかないで
歩いて行ける この東京砂漠

内山田洋とクールファイブの東京砂漠です。前川清さんが歌い米米CLUBも唄っています。「あなたがいれば」の「あなた」はいったい誰なのでしょうか?大好きなあなたがいるから心臓の治療も受けられない東京でも我慢して歩いてゆけるという意味でしょうか。あるいは、私は心臓発作になった時に安心して任せられる医師であるあなたがいるから元気に歩いてゆけるという意味でしょうか。後者になるためには、医療分野でも東京砂漠であるという現状認識が必要です。日本の隅っこという意味で名付けられた大隅に東京は負けている場合ではないのです。

2012年2月3日金曜日

ニトロペンは狭心症には適応があるが狭心症の疑いには適応がないという人がいます

時々、10分ほどの我慢できないほどではないけれども胸部の圧迫感を感じるという方がよく来院されます。負荷心電図も陰性、冠動脈CTでも狭窄がない、でも狭心症らしい症状があるという時にニトログリセリンを一度試しに使ってみてください。ニトロでスッと良くなるようであれば冠攣縮性狭心症の可能性が高いという判断になるので、攣縮を予防する薬を始めるか、冠攣縮が起きるか否かを見るためにカテーテル検査をしましょうとお話しします。典型的な診療のパターンです。

こうしてニトロを処方したところ、保険適応ではないとのことで査定を受けたことがあります。なるほど、ニトロペンは狭心症には適応があるものの狭心症の疑いには適応があるとは書いてありません。30年以上、このスタイルでやってきて初めてのニトロペンの査定です。1錠、15.1円ですから5錠で75.5円の査定です。以後、このような方のレセプトには狭心症の疑いという病名ではなく、狭心症と書くようにしました。でも、本当は狭心症と確定診断できていない方にこのように病名を付けるのには抵抗があります。

冠動脈造影もCT検査も受けていない、負荷心電図も受けたことがないという方がよく狭心症と言われて近所の先生からカルシウム拮抗剤や硝酸剤を処方されています。狭心症を疑えば、専門医に紹介して下さればよいのですが、そのまま検査をしないままにこうした治療を続けておられます。このやり方には2重の欠点があります。狭心症ではない方に延々と冠拡張剤を処方し続けるという罪と、本当に狭心症の方には冠動脈を評価しないままに放置するという罪の2つです。私は循環器専門医ですからやはりこのようなやり方ではなく、きちんと診断したうえで治療を始めたいので、確定するまでは疑いというスタンスでいたいのです。でも健康保険がこれを許してくれません。

2011年6月11日付の当ブログ「日本のインターベンション医は、やりすぎなのでしょうか」の中で岐阜大学の西垣和彦先生が日本の10万人当りの冠動脈疾患患者数は3199人と発表されていると書きました。この数字はどこから来たものでしょうか。レセプトに記載される病名がその算出根拠になっているとしたら、非常にいい加減な数字になってしまいます。実際、厚生労働省の統計の有病率などはこのレセプト病名から算出されます。

いい加減なレセプト病名から算出された患者数から医療政策が決定されるとしたら困ったものです。こうしたことを排除するためにもきちんとした病名のみを記載したいですが、ニトロペンは狭心症には適応があるけれども、狭心症の疑いには適応はないと言い出す審査委員がいます。こんなことが続くとしたらこの国の厚生行政の行く末には目を覆うしかないのかもしれません。

2012年2月1日水曜日

ネット時代の「連帯を求めて孤立を恐れず」

救急専門医の独り言」というブログの記事に刺激されて、Google Analyticsで当ブログのアクセス解析をすることにしました。このブログを書いている先生とはかつては同僚でしたが、この頃にはこんなにもユーモアがあり発信力のある先生とは知りませんでした。ネット上で知ることができる本質があるのかもしれません。

1/29の夜にGoogle Analyticsの設定をして3日目、およそ72時間が経過しましたが、その間の県別のアクセスマップが図です。72時間で43都道府県からのアクセスです。アクセスがなかったのは東から、栃木県、静岡県、鳥取県、島根県だけです。そう言えば栃木県で知っている人はいないしなとも思います。一方で、非常に仲の良い友人は静岡で働いているのに見てくれていないのだとも思います。

もう少し、詳しく見ると43都道府県の88の市や区からのアクセスです。大学時代を過ごした奈良県橿原市からも、大学時代に映画を見に行った奈良県大和高田市からもアクセスがありました。大和高田でタワーリングインフェルノを見た時にはお客さんは私一人だけで上映時間が始まっても映画が上映されず、掃除が始まりました。私がいるのですがとアピールしてから上映をしてもらいましたが一人のためだけに上映していただいた心意気に感謝したものです。ネットのアクセス解析をして、一人で昔を懐かしむ自分の姿を、自分でも少し気味悪いかなとも思いますが、昔を懐かしむ年齢になったのだと思います。

1994年から2000年までの福岡徳洲会での勤務時代、福岡都市圏で最も多いPCI件数を実施する施設を作るのだと頑張り、実際にそうもなりました。大きな町の一番症例数の多い施設ですから多くの学会発表を行い、AHAでの発表の機会もありました。そうした、恵まれた環境から2000年に私は鹿屋への転勤を志願しました。鹿児島県の人口第2位の町であった鹿屋にPCIができる病院がなく、急性心筋梗塞になれば2時間もかけて鹿児島市内に搬送される状況だと知ったからです。この決断をした時に、頭の中にあった言葉は「連帯を求めて孤立を恐れず」です。東大闘争中に安田講堂に残されていた、落書きのフレーズです。「連帯を求めて孤立を恐れず 力及ばずして倒れることを辞さないが、力を尽くさずして挫けることを拒否する」というのが全文です。困っている人のために華やいだ舞台から、孤立するかもしれない環境の鹿屋に行ってもその心情を理解してくれる同じ気持ちの仲間がいるはずだとこの言葉のように思っていたのです。

それからもう10年以上が経過しました。自分が灯したPCIの灯を自分が責任を持って守り抜かなくては言う気持ちで6年前に鹿屋ハートセンターを設立しました。人口の少ない土地ですから1000人規模のPCIの施設ができるはずはありません、年間200件足らずのPCIですから一人でも十分にできる件数なので、週に2回手伝いに来てくれる鹿児島大学のK先生を除いてほとんど医師と会話することもなくなりました。この孤立感をネットで克服しようと始めたブログです。たった3日間で43都道府県からのアクセスです。目に見える現象は孤立であってもそこにはネットで結びついた連帯があるような気がします。少しエクセントリックな主張をしても「いいね!」を押してくれるfacebook上の友人にも出会えました。

大学時代、この「連帯を求めて孤立を恐れず」という言葉に出会い、高橋和己の「孤立無援の思想」を読みといった経験を経て、今の私の選択があります。全共闘の時代や私の大学時代にはなかったネットの環境が今は存在します。ネットの時代の「孤立無援の思想」の形態は、高橋和己が思い描いたものと異なる進化を遂げているように思えます。